|
|
|
おわりとはじまり
思い通りにいかないことは多々あっただろう。
嫌な思いをした人もいただろう。
それらによって番組に関わる人たちのモチベーションが落ちてしまった時期もあっただろう。
途中でキャストがいなくなることもあったし、芸能界やテレビ局という世界と関わることで様々なことを垣間見ただろう。
それらを感じながらも、私が毎回『YAH-YAH-YAH』がおわるたびに『SPOTLIGHT!』を書いてこれたのは、「人」がいたからだ。必ず、がんばっている「人」がいた。
勇気をくれる「人」がいた。画面を通して、それが伝わってきて、私に書かせる。その「人」は、キャラクターであり、キャストであり、脚本家であり、スタッフであり、撮影現場にいるいないにかかわらずドリプラ生であり、頭の中にいる想像上の人であったりした。「そこじゃなく私を見てほしい」と、強い思いで訴えかけらているように思えた。
その人たちの思い、努力、もっと突き詰めれば存在そのものがあったから、書けたし、番組もなんとかああして最終回を迎えることができたのだと思う。
最終回の編集作業では、そんな人と人との思いやこだわりのいいぶつかり合いを初めて行うことができたようで、それはでき上がった作品を見ても伝わってきた。
テレビドラマをみんなで作り上げていく過程の中で、自分の本質的にだめな部分を思い知ることができるというのは、とてもすばらしいことだと思う。
人と人とが出会い、何かをはじめる。何かがはじまる―それはこのドラマのストーリー中でも現場でもテーマになっていることであり、もう人生の基本と言ってもいいもの。そんな大切なものを学べる環境があるということは幸せだ。だから、そのときはどんなに痛くても、それはすばらしいことになるのだと思う。
そして、『YAH-YAH-YAH』を作ってきた者、見てきた者、それぞれがそれぞれに心に残ったものを抱え、次の新番組『Live City(以下L.C.)』へと向かっていく。これからは、撮影スタッフが全員ドリプラ関係者ということで、どんな「人」が見えてくるのかたいへん楽しみである。しかも、なんと、直に見ることができる。
Episode1の撮影がおわった今でも信じられないが、この『L.C.』の撮影で私は照明チームに入っている。たぶん、現場にいる誰よりも自分が一番自分の存在に違和感を感じている。今までは画面に映る映像を通して自分なりに想像するしかなかったことが、実際に目の前で行われているということの非現実感がぬぐえない。しかも自分もその中にいてライトを当てちゃったりしてる。確かに『SPOTLIGHT!』は書いてきたけど、まさか実際にLIGHTを当てることになるなんて!
そんな私だけでなく、全員が素人という状況で、撮影は進められた。一週間にわたる強行軍の中で私が感じたのは、やはり「人」。現場にいることで、更にくっきりと浮かび上がる人の思い。
思いの深さも、数も、種類も、想像以上だった。
そしてこれが映像になったとき、私は何を感じるのだろう。と同時に人々は何を感じるのだろう、ということにも興味が湧いてくるところに、作り手としての自分がちょっとだけ顔を見せる。
『YAH-YAH-YAH』がおわって『Live City』がはじまる。
文字にすればそれだけのことだし、実際、たったそれだけのことじゃないかと言われてしまうことなのかもしれない。だけど、たったそれだけのことのためにどこまでもこだわりを見せる人がいる。笑っちゃうほど過酷なスケジュールなのに笑顔でいてくれる人がいる。たったそれだけのことを支えてくれる人がいる。楽しみにしてくれている人がいる。
私は、たったそれだけのことに、大きな大きな希望を感じる。
|
| 箕輪有花子 |
|
|
| vol.49 |
許しとは、なんだろう。
静かに満ちている海のように、冴え冴えしく降りそそぐ月の光のように、無限大に広がる宙(そら)のように、そんな混じりけのない心で許せたら、許し合えたらいいのに。
疑問、不信、憎しみ、後悔…。
そんなもので溢れた頭と心は、本当は一番必要だと訴えているはずの許しを、受け入れる余地がない。
いつになれば、どうすれば「許し」を自らの中に取り込める状態になるのか。
それはやはり、また未来を創めようと思い立ったときや、自分以外の人の気持ちを思ったときではないだろうか。
前に進む方を選んだなら、必然的に通る場所。
いくら分かり合えなくても、憎しみ合ってしまったとしても、自分を責めることしかできなくなっても、たとえ後悔しか術がなくても。
辿り着いてほしい。辿り着いてあげてほしい。
今はまだそうではないし、まだそうでなくていいけれど、目を閉じると浮かんでくる。
海のようなJUNが、月の光のようなAMYが、宙のようなKENが。
その光景は、美しい。
だから、本人たちは気付いていなくても、そこへ向かおうと、何とか前に進もうともがいている今の彼らの姿が美しい。
|
彼らなら、辿り着けると思った。
全てを拒絶して手に入れる美しさではなく、大自然のように、いいものも悪いものもありったけを受け入れてきたからこそ輝く美しさ。許すということ。
それこそが、なんで?なぜ?!をいくら叫んでも誰に訴えても答えの返ってこない、この理不尽な世界に対抗できる唯一の力なのかもしれない。
箕輪有花子
|
 |
|
|
|
| vol.48 |
|
|
21cm×28cm。
部屋の中のテレビ画面を改めて眺めながら、ああ、入りきらないな、と思った。
あの場にいた全員の姿や思いなど、あんな小さな画面の中に入りきるわけがない。
そもそも全てを詰め込む必要などないのかもしれない。
だけど、確実に言えるのは、あの場にいたひとりひとりが空気を作り、1つのドラマの中の要素になっていたということ。
だから、その全てが入っていてほしい。
それが無理なら、せめてこぼれてしまった部分を感じられる人になりたい。
2月22日、防波堤のシーン(次回放送分)の撮影では、よく言われる「誰ひとり欠けてもこれはできなかった」という非日常でどうしても嘘っぽくなってしまう言葉がぴったりはまるぐらい、ひとりひとりの力を感じた。その場にいた人はもちろん、いなかった人も誰かの頭の中でしっかり存在していた程。
みんなで作り上げるって本当のことなんだ、だからひとりでもネガティブな空気を出すと大変なんだ。
正直な実感である。
今回はたまたまはじめて現場に行かせてもらえるチャンスに恵まれたため、どう映像化されようと、これらのことを感じられる。だが、世界中でテレビ又はスクリーンに映る物語は無数にある。ということは同じようにそこからこぼれてしまう思いも無数にある。
…なんだか、冬の澄み切った空を見ているときの今にも星が降ってきそうな不思議な恐怖感や、図書館に行って一生かけても知ることのできない量の知識の渦の中にいるときの心地よい絶望感にも似た気持ちになる。
まず人がいて、思いがあって、それを何通りもの中から選んだりただの偶然だったりとにかく何らかの形で表現して、それらが全て集まって、それを変えたり切ったり並べ替えたり加えたりして、最終的にあの画面の中に収められる。
…これは、勝負だ。
全ての人の納得のいくようにはいかないことは分かっていても、全ての人が持てる力を出し切って、BESTに近づけていく勝負。そしてその勝負の真剣さが小さな画面を通して見ている人に伝われば、きっと本当に伝えたいメッセージも伝わるのでは…と思う。思いたい。
“入りきらない”逆に考えれば、“入れずにすむ”。
いくらでもごまかしのきく映像の世界だからこそ、私は無数にある中から、入りきらない思いと真剣な勝負を感じ取りたい。 |
箕輪有花子
|
 |
|
|
|
| vol.47 |
淡々としているような、でも一言一言振り絞っているようなKENの言葉を聞いているうちに、私はやっぱり、なんというか、普通の状態では見られなくなっていた。
感情の種類を表すなら、感謝。
KENはSEANに向かって話していたのであって、決して視聴者に向けて話していない。
だけど、KENが初めて自身の過去を語っているという、ただその事実に、感謝の念が湧いてくる。
もし私があの場にいたら、「つらかったね」「がんばったね」、そんな気休めの同情の言葉は言えないし言いたくないから、KENを見つめてひたすら「ありがとう」と思い続けると思う。
KEN、ありがとう。
KENが珍しく饒舌だったから、私にはもう書くことがない(笑)。
ただ、表現することってこんなにも人の心を動かすんだということを、今改めて実感している。
勇気を出して話すこと、真剣に語ること。
とりあえず動くこと。
怖くても書くこと。
究極の選択を繰り返しながら演じること。
…今夜はそれらをまとめて全部見せてもらって、その素晴らしさに胸が熱くなった。
自分の内側でうごめくものを、外に出して何らかの形で届けることの大切さ。
まさかそれをKENに教えてもらうなんて、思ってもみなかった。
|
箕輪有花子
|
 |
|
|
|
| vol.46 |
…どうしよう。
Kenがしゃべってる(ここまではまだ大丈夫)。
Kenが笑ってる(ここまでもまだ大丈夫)。
Kenが談笑してる(ごめんなさい。想定外でした)!!
日常生活を送っているKenを見ただけで、その一挙手一投足にいちいち反応してしまった私は、今までKenをなんだと思ってきたのだろう。
今回Kenの暮らしの一部を知ることができて、さらにいろいろな想像がふくらんだ。
洗濯するKen。人を待つKen。
携帯をいじるKen。つっこむKen。
にんじんを残しているKen。
そして何よりも、どんなことが起きようと、日常を生きなければならないKen。
どんなことが起きても、必ず日常はやってくるのだから。
どんなにショックなことがあっても、おなかだけは確実にすいてくるのだ。
人にとって、Kenにとって、それが過酷なことなのか、希望に満ち溢れたことなのかは、わからない。多分どちらもという気がする。
そして、日常に含まれている希望は、今この瞬間にはとても実感しにくい。目の前にある幸せを多くの人が忘れてしまうように。あとになってじわじわ感じ始めるのがやっとというぐらい、毎日はめまぐるしく、精一杯に過ぎてゆく。
前よりもずっと、Kenが身近な存在になったと思う。
でも前よりもずっと、私はKenに話しかけにくくなった。
今度は、怒り、ではなく、痛み。
決して痛々しいのではない。同情でもない。ただそれに共感してしまったために。今が嫌になる。今が一番幸せ。
みんな同じ今を生きているのに、それぞれが持つ感情はそれぞれに違う。
日常から生まれ出る痛みとエネルギーが混ざり合っている。
でも彼は背負っているものがやっぱり重くて、わかるけど「わかるよ」とは言えなくて、私はまた何もできなくなる。
少なくとも、まだまだ奥が深いあなたを見失わないように、今日も過酷で希望に満ち溢れた日常を生きようと思う。 |
箕輪有花子
|
 |
|
|
| vol.45 |
ほとんどの人は、Nickに共感するだろう。
女の子だったら絶対、Nickみたいなお兄ちゃんが欲しくなるだろう。
なのになぜ、人は自分以外の人を必要以上に崇めてしまうことをやめられないのか。
Nickがあんなに見せてくれたのに。
“俺は完璧でもなんでもない”
その言葉に深く共感し、目を覚まさせてもらったというのに。
|
…あの人はすごい。
だっていつもみんなの中心にいる。
いつもみんなを笑わせている。
あの人自身も楽しそう。
妹思いで理想のお兄ちゃんって感じ。
それにほら、ダンスだって上手いし。
…自分にはとてもできない。
完璧じゃない自分には。
|
 |
|
特に、自分が持っていないものを持っているように見える人には、無意識にこんな感情を抱きやすい。人をすごいと思うことはとてもすてきなことだが、それが表面だけの視野の狭い“思い込み”になってしまうと、自分もその人も苦しくなっていく。
そして仕舞いには「ま、あんな人は私みたいな悩みなんてなくて、何も考えてないんだろうし」と、開き直る。こうなると、その人のことを分かろうとする気持ちはゼロ、最悪のパターンだ。
何度も言うが、Nickは見せてくれた。彼が抱えている様々なもの。
(というより私が勝手に想像しただけなんだが。)
そうやっていちいち証拠や確信がないと、「この人は完璧」「あの人はすごい」という自分が作り上げた過大な思い込みを、壊すことができないのか。
|
聞いてあきれちゃうでしょ、Nick。
でもね、だからあなたが必要なんだ。
結局人はそう簡単に変わることはできなくて、深く感じたことでさえいとも簡単に忘れてしまうという使い古しのフレーズに落ち着いてしまうのだが…。
よし、もっと深い人になろう!
浅い所でいつまでも漂っていると、他の人まで傷つけてしまう。
気付いては忘れ、また思い出しては忘れ、また思い出し、でも忘れる。でも、思い出す。
分かっていてもどうしようもなくそれを繰り返すことでしか深くはなれない。
その都度、Nickには何度も登場してもらうことになる。
そしていつか、Nickのオムライスを食べに行こう。
|

|
|
(っておい!普通逆なんじゃないの~?!俺がごちそうになる番でしょ!!) |
|
※“PERFECT”をリピート!しながら書きました。
箕輪有花子
|
|
| vol.44 |
脚本家であるYUKIさんがJunのテーマ曲を選ぶときに、本家本元のLouis Armstrongバージョンではなく、Joey Ramoneの『WHAT
A WONDERFUL WORLD』(ロックバージョン)にした理由がなんとなく分かった、この2回分のEpisodeだった。
|
軽くて、甘くて、青くて…。
WHAT A WONDERFUL WORLD.
この言葉、この歌が、ただの皮肉にしか聞こえないような頃。
ミュージカルで見せてくれたクールなイメージとは程遠い生身のJunの姿を見て、最初は、はっきり言って軽く幻滅してしまった。
と同時に、ますますJunに惹かれていっている自分もいた。女性の中には、男性のどろどろした部分やときに子供のように弱くなってしまう部分を見るのがけっこう好きな人もいて、そうなるともはや幻滅を通り越して興味が湧いてしまうのである。
前回と今回の2回では、Junのそういった部分が描かれていた気がして、なかなか女心をくすぐる内容だ、なんて思った。そこには脚本を書いているのが女性であるということも影響しているのだろうか。
|
 |
|
だからやはり、見ているだけでもういい、満足、と感じてしまうような人は、おもしろくないのである。なによりそんなふうにすぐに人を判断してしまう自分が一番おもしろくないのである。ミュージカルのJunからはそういったオーラを少し感じていて、その時はそれはそれでいい味だと思っていたのだが、今回ドラマのJunを
知ってしまったから、次にミュージカルで彼に会うときにはきっと違った見方をしてあげられると思う。でもまず、ドラマのJun、ミュージカルのJunって、区別すること自体、同じ人間に対して失礼かもしれない。人にはいろいろな時期があって面があって、しかもそれらは常に変わり続けていて、変わらないものもあって、そんな当たり前でおもしろいことをまたひとつ思い出させてもらった。
|
そして、そんな彼の友達であるNickは、これでもか!っていうぐらい切ない。
JunのEpisodeのときから、Nickの切なさ、痛さはびんびん伝わってくる。
2人共、いい男になってほしい。
心から、そう思う。そう願う。
…たぶん、その願いは現実になる。
それは、彼らがもう少し歳を重ねた頃。
私たちももう少し歳を重ねた頃。
“WHAT A WONDERFUL WORLD” By Louis Armstrong
そして、いつか、
この歌を皮肉なんかじゃなく、とても静かな心で、でもこの世に生を受けた幸せに胸があつくなりながら、歌える日がきっと、やってくる。 |
 |
|
箕輪有花子
|
|
| vol.43 |
たった今、Episode1 Amyのストーリー『TORN』が終わった。
真夜中だというのに、なんだろう、この朝のようなすがすがしさは。そして、この3回の放送で大好きになれたAmyを怒らせるつもりは決してないのだけれど、予告編のJunに思わず見入り、見終わった後は「Jun~!!」と叫んでしまった高揚感が抑えられない。
このドラマは、「知りたい、この人のこんな顔を見てみたい」という欲求を少しずつ満たしてくれる存在でありながら、私個人にとっては、ちょっと痛くもある。
なぜ、このドラマを見ることが痛いか。
それは、彼らの本音や裏の顔を垣間見て、新たな発見や感動を覚えていた私自身が一番、自分からは心を開こうとしていないという現実があるからである。自分のことは棚に上げて、他の人からは本音を求める、そんな自分が浮き彫りになってくる。
しかし、逆に考えれば、Amyたちから、自分がどんな人間かを教えてもらっているという、すごくありがたいことなのだ。ドラマの中の彼らは、無防備で、生々しくて、なにか特別な能力を授かっているわけではないのに、魅力的だ。ミュージカルでは隠しすぎていた彼らの本音が、丁寧に描かれていく。
圧倒的不利なかっこ悪い立場に追いやられて泣きじゃくるAmy。
理解できずにすがりつこうとするAmy。
強がりを保ち続けられなくなっているAmy。
誰かのために精一杯をつくしているAmy。
まだまだたくさんの知らないAmyはいるし、実は私の勘違いなのかもしれない。でも、見ることができてよかった。知ることができてよかった。
全てはミュージカルという核があるからこそできること。感じられること。
私が、ミュージカルを見ていて勝手に想像が膨らんでいき、確信はないくせに彼らの気持ちが痛いほど胸に突き刺さってしまうのは、彼らと同じように私も自分を隠しすぎているから。程度の差こそあれ、多くの人が自分を隠して、奥の方にしまって、生きている。それを全部出すのは無理だし、出したくもないし、みんなが出していたら世界は一瞬で滅びてしまうだろう。かといって、このままの自分でこの先もずっと通すのか、通したいのかというと、それも違う。
自分を今、表現したい。普段は絶対に言わないけれど今、この思いを口に出してみたい。人生ではそんな「今」が必ず訪れる。そのときになって自然と湧き上がってくる思いは、強烈なパワーをもっている。きっと自分でもびっくりするぐらいの。
現実のなかなか変わらない自分、Amyからもらった勇気や希望、私たちが生きている世界、ほかにも色々な感情が混ざり合って生じた、すがすがしい痛み。そんな状態だったからこそ、Junが映ったときの期待感、高揚感はそれこそ自分でもびっくりするぐらいのものだった。あの終わり方は最高だった。
次の放送まで3週間ほどあいてしまうけれど、あの強烈かつ絶妙なつなぎがあれば、忘れていた記憶も感情もいっきに思い出せるであろう。
|
これからJunのEpisodeの撮影が入り、編集作業などが待っている制作側。
彼らの思いを間近で感じながら、次の放送まで集中を切らさないようにするなど(笑)、視聴者もがんばる必要があります。
Let‘s do our best!!
|
 |
|
箕輪有花子
|
|
| vol.42 |
前回の放送から薄々感じ始めていたこと。
第2回の放送を見終えて確かなものになりつつある感情。
Amyがんばれ。
Amyわかるよ。
Amy好きだ。
ドラマを見ていて一番に感じるのは、Amyってふつうの女の子なんだ、ということ。
もちろんいい意味で。でも、「ただの」ふつうの女の子ではないということ。
ここで Amyの人格や性格云々の説明とかそんなものはしたくなくて、もう純粋に、どの場所に行っても、どの年代にも、どの街にも女の嫉妬や妬みは渦巻いていて、「女の友情なんてない」と思ってしまうのは無理もないけれど、あきらめないでほしい、がんばってAmy、と思った。そして「破れる」時はみんな、わけがわからなくて、まだ受け入れる準備のできていない心に容赦なく相手の言葉が突き刺さって、痛くて痛くてどうしようもないけど、Amyもまたその例外ではないということを、あの姿を見て初めて感じることができた。
世界中の女の子をAmy派、Joey派の2つに無理矢理分けたとしたら、絶対にJoey派になるであろう私は今まで、Amyのことは好きだけど、Joeyのように大いに感情移入はできなかった。
でも先日、ドリームプラネットのレッスンで、Episode1のテーマ曲である「TORN」の歌詞を知ることができ、それが全てAmyの感情ではないけれど、女の子なら誰もが共感できるようなことが表現されていて、そのふつうさと普遍さがすごく切なかった。
誰もが傷付けられる。誰もが破かれる。自分も破かれる。Amyも破かれる。そして、想像の中だけでなく、実際に映像で見ていると、自然にAmyを応援しているし、そんなAmyが私は好きだな~としみじみ感じてきてしまう。Amyに自分が感情移入しているのか、自分の中にAmyがいるということを感じられたのか、よく分からなくなってくるが、たぶん両方だろう。
|
ふつうの女の子だけれど、「ただの」ふつうの女の子ではないAmy、と表現したものの、私もまだ本当のAmyを分かってあげられていない。
でもこのドラマでだんだん近づいていっているのは感じる。
YUKIさんの言葉通り、ミュージカルと違いドラマでは彼らの本音が聞ける。毎回どきどきである。(本当にKenの番になったらどうするんだろう…)
今ならJoey派の私でも、Amyと友達になれそうな気がする。
Saturday,October 21st,2006
箕輪有花子 |
 |
|
|
| vol.41 |
物足りない。もっと見たい。もっと知りたい。
まるで、大好物のえさをまだ食べている途中なのに取り上げられてしまった犬のようだ。
しかも、次に食べられるのは今から2週間も先?!
そんなに待てないよ~!!
でも、飢えていれば飢えているほど、食べ物はさらにおいしく感じるモノ☆
ただ単に見ている者の感情として、今日初めてテレビドラマのS.T.A.R.を見た後真っ先に感じたのは、「飢え」だった。それは、ミュージカルのS.T.A.R.を見ているときにはなかった種類の感情である。ミュージカルとテレビドラマ、どちらもエンターテイメントだが、前者は人を満腹感で、後者は人を飢えで楽しませるような気がする。それは、次に絶対つなげさせる強力な飢え。
撮影に関わっていない、現場を見てもいない、正真正銘いち視聴者の私は、テレビ番組をこの目で見るまでは、テレビドラマという“形”に、そこまでの期待を抱けないでいた。生で魅せるミュージカルのパワーをまがりなりにも感じさせてもらってきたため、テレビが持つ、全てが忠実なまでに作り物の世界、直接ではなくブラウン管を通すことから生じてくる壁、といった要素がどうしても気にかかっていた。
ところが、ふたが開いてみて、あっという間の30分間が終わった今、感じているのはまぎれもなくテレビのパワーなのである。テレビ番組の製作側に、「視聴者が満足するちょっと手前で切って次に期待を持たせる、もっと見たかったな~ぐらいで止めておく」というような思惑があるのは分かる。しかし、人というのは不思議なのもので、分かっていても、その思惑通りにはまってしまう。飢えを感じてしまう。求めてしまう。
それは、この番組に関わる全員が忠実なまでに作って作って作りこんだ成果であるし、「毎月第1・3週金曜日の何時何分から」という定期的に誰もが見られるブラウン管という媒体が保証されているからこそ起こってくる感情だと思う。私が最初に危惧していた要素は、実はプラスの要素だったようだ。製作側のみなさん、失礼しました。
一度はまってしまったら抜けられないドラマ版S.T.A.R.の第2回放映日を待ちます。
今度は贅沢な飢えを感じながら、楽しみに、待ちます。 |
箕輪有花子
|
 |
|
| vol.40 |
撮影の最終日にて。収録も後半に差し掛かった所でそれは起きた。
照明機材が引火して炎を上げ、スタッフのカメラマンが手に火傷を負ってしまった。
カメラを持つ手が普通通りに機能しない。それは怪我の痛手より精神的にきつい事であろう。
しかし周りの人間が心配をする中、彼本人は至って冷静だった。
その直後、彼とたまたまエレベーターで2人になった私は、無造作にタオルの巻かれた彼の左手を見て「火傷大丈夫ですか?」と問い掛けた。すると彼は「うん。全然。」とあっさり答えた。「これ位何でもないよ。跡も残る様なものじゃないし、それより僕からしてみたら自分の手よりライトの方が心配。照明壊れてないか…それが気になる。」 |
その落ち着いた言葉とは裏腹に彼の額には汗が滲んでいた。
自分の体より機材が心配だと、かっこつけてなら言えるかもしれない。しかし彼は濁りの無い目でまるで我が子を思う様な表情で機材の心配をしていた。
…プロだなと思った。
これ以上余計な言葉をかけるのは逆に失礼だと思い「しっかり冷やして下さいね。」とだけ口にした。
もし彼がもっと大きな怪我をしたとしても、機材が無事ならきっと胸を撫で下ろすだろう。
自分が犠牲になっても守りたい大切なもの。
…私の大切なものはなんだろう?
|
|
 |
|
谷田部麻理子
|
|
| vol.39 |
「S.T.A.R.」がドラマになる。それが実現するまでに時間はそうかからなかった。
確かにミュージカルでも、ドラマでも、「S.T.A.R.」は「S.T.A.R..」。
しかし共通する部分もあるが、全く異なる部分も多々ある。
まず大きな違いは「客」であると思う。
ミュージカルは同じ空間に演じる側と観る側が共在し、目の前で直接表現する。
一方テレビは双方が同じ空間に存在する事はなく、演じる側は見えない客に向かって、あるいはその客を自分の中で想像し、表現する。そして客はブラウン管を通して、時差を経てその表現を受け取ることになる。
客がすぐそこに居るほうがリアルにぶつけられる?
それとも、客が居ないからこそ余計な緊張もなく演技に集中しやすい?
それはその役者の向き不向きなのだろうか。…そんな事を気にしているようでは一端の役者とはいえないのかもしれない。
次は「失敗」であると思う。
舞台はやり直しが効かない。一発勝負。失敗したら取り返せない。どんなに大きなミスを犯しても芝居をそこで終える訳にはいかない。舞台に立った瞬間から一瞬たりとも気を抜かず、最後までやり抜かなくてはいけない。
一方テレビは単純に言ってしまったら、時間の許す限り何度でもやり直しが効く。失敗しても取り返しがつく。気に入らなかったら果てしなく撮り直す事が出来る。だからと言って気楽に出来る訳が無い。いつOKが出るかも分からない故、毎回に勝負を賭けなくてはいけない。
失敗に対する緊張感の大きさは同じ様な気がするが、その種類は全く別物の様な気がする。
「舞台」という世界と、「テレビ」という世界を比較すると、他にもたくさんの違いがあり、同じエンターテイメントでも異質な形である様に思う。もしかしたら比べること自体ナンセンスなのかもしれない。
その全く違う世界で表現される新しいS.T.A.R.。
違いを探すも良し、共通点を探すも良し、何も考えずただ感じるだけでも良し。
10月6日のオンエアまであと少し。個々の楽しみ方を見つけて頂けたら十分である。
放送を観て頂けた瞬間に、製作側と皆様がやっと何かを分かち合うことが出来る。
初めて繋がることが出来る。 |
谷田部麻理子
|
 |
|
|
|
vol.38 |
3月の第1回公演から、7月の第2回公演までの間にひとり、大好きになってしまったキャラクターがいる。ちなみに第1回公演の時はメインキャラクターの中で1番自分とは遠いなと思っていた人。
役者の演技ではなく、共感する気持ちや感情移入するシーンが他のキャラクターより少なくて、理解もあまり出来なかったし、嫌いではないけれど特別好きなわけでもなかった。
…だったのに今は全然思いが違う人。JUN。
始めからAMYが大好きだった私にとってJUNの代名詞は「AMYの彼氏」だった。AMY主観で感じていたから、JUNに「もっとAMYを理解してあげてよ」といつも思っていたのに、今はそれと同じくらいAMYにJUNを理解してあげて欲しいと願っている自分がいる。
きっかけは私が今回の公演でJUNのスタイリストとヘアメイクになった事だった。
前回の公演ではJ.J.を担当させてもらい、今回もAMYとJOEYのメイクをすることにはなっていたものの、男のキャラクターを担当するのは初めて。
新しい挑戦なので多少の不安はありつつも、自分の経験を開拓出来るという楽しみが断然勝っていた。今の自分で出来ることをしよう。今の自分だからこそ学べるものもきっとあるはず。と。
まずはJUNを知らなくては。イメージをリアルなものにしなくては。そこから始まった。
かっこいい男。女にもてる男。男に憧れられる男。自分のかっこよさを知っている。今まで散々女に囲まれてきたからそれなりの自信はあるし、寂しくもなかった。…でも本当の自信は持っていない。心の奥底は小さい頃から積み重なってきた父親と兄達に対するコンプレックスが根付いていて、どうしてもそれを消せずに、表面を男らしくかっこよくする事で自分自身を誤魔化し続けてきた。寄って来る女はいつもいたけれど、本音を見せられたこともない。見せる必要もない、見せられる勇気もない。本気で愛さないから、本気の付き合いをした事もない。心では自分を変えたくて、家族にも認めて欲しいともがいている。
JUN。ただのかっこいい男ではない。全然完璧ではない。見た目と中身のギャップ。そこがポイントかも。
かっこいいけどナルシストにはしたくないから、キメキメのスーツとかシャツばかりというのはなんか違う。Tシャツ一枚でもセンスの良さが光って、主張しすぎないおしゃれ。カジュアルでもかっこいい。力んでいるかっこよさではなく、自然にかっこよさを身にまとっている。そんな感じ。…うーん。難しい。
JUNを演じる琢朗と男物の雑誌を見て使えそうなものを探したり、髪型も何パターンか試してみたり、前回のDVDを見て改善点と継続したい部分を明確にしたり、よりJUNらしくなるために限られた時間と予算の中で試行錯誤を繰り返す日々が続いた。
…そんな毎日の中、気付いたら私の中のJUNがどんどん人間になっていった。リハーサルでもJUNに目がいく事が多くなり、JUNの気持ちや葛藤を感じている自分がいて驚いた。私の中で「AMYの彼氏」でしかなかったはずのJUNが、私の中でひとりの人間として存在し始めていた。 ただ衣装を考えるにも、髪型を決めるにも、その人間を知らない事には何も出来ない。
本番当日。裏でJUNの衣装の早替えを手伝ったり、襟を直したり、髪の乱れを戻したりしながら、緊張しているのに不謹慎にも心の中で笑ってしまった。なぜならあのシーンのJOEYの心境が自分と面白いほど重なりすぎて。琢朗がJUNであるために、JUNがかっこよくあるためにとせかせか動いている自分はまさにSHOWの中でみんなを見守るJOEYそのものだった。勝手に心配して、応援して。JOEY、本当にお母さんの気持ちだね。(笑)
公演が無事終了した後、琢朗と交わした言葉は、達成感のあるお疲れ様ではなく、これからだねというお疲れ様だった。お互いに見えてきた違う視点の課題とまだ先がある、もっと出来るという確かな気持ちで心は澄んでいた。
3月には自分の中で遠くにいたJUNが、今では大好きなキャラクタ―。スタイリスト、ヘアメイクをきっかけにJUNを知りたいと思えて、感じることが出来てとても嬉しく思う。…ただ1つ問題なのは、おかげ様で二枚目キャラのJUNに、「かっこいい―キャー」という乙女的な好きではなく、「JUN、AMYを大切にするのよ!あんたかっこいいし本当は優しくていい奴なんだから頑張りなさいよ!」という母親のような愛着が湧いてしまった事かも。(笑)
あなたの中で今遠くに感じているキャラクターも、ひょんな事で1番身近に感じたりする日がくるかもしれない。それは現実の人間関係でも言えること。人と人との関係は、予測もつかないし、答えなんてない。攻略本もルールもない。だから面白いし、未来に価値がある。
そう思いませんか?
|
 |
谷田部麻理子
|
|
|
|
vol.37 |
開演五分前のベルが鳴った。
袖にスタンバイするメインキャスト。少し落ち着いた表情のアンサンブル。緊張の色を隠せない初舞台のアンサンブル。確認を繰り返すセットチームメンバー。何時間も音響席を離れず真剣な顔の音響の二人。自分の担当キャストを見つめている衣装、ヘアメイクチームのメンバー。
心臓の音が聞こえてきそうな空気。ここまできたら、全てをぶつけるだけ。決意から生まれるある種の安心感。逃げる道なんてない。ここまできたんだ。
NICKの言葉を借りるとまだ「終わってないどころか始まってもいない」のに、なぜか泣きそうになった。
感動してるわけでもない、恐怖で怯えてるわけでもない。
まるで舞台に住んでいる魔物に涙腺をいたずらされたみたいだった。
涙を流すのはまだ早いでしょ?自分に言い聞かせ天井を見上げるとOPENINGの音楽が鳴り出した。
色とりどりのライトが瞳孔を通って眼球に届き、現実離れした空間がそこに現れた。
4ヶ月ぶりの、あの倉庫。あの5人。S.T.A.R.の世界。
舞台が始まると、そこからは瞬間がひたすら通り過ぎて行くように、止まる事無く動き続けた。
それぞれの人間がそれぞれのポジションで、集中を切らさないように自分の体をフルに働かせて。
全ての歯車が噛み合い回り続ける風車のように。
その場にいる誰が欠けてもだめだった。お客様を含め、関わった人間全員が、あの場に居合わせた人間全員が、あの夜に必要な存在だった。全員があの夜のメインキャストだった。
いくつもの感情が、挑戦が、想いが、交じり合って劇場には特別な空気が漂っていた。
私はこの瞬間のこの胸の高鳴りを出来るだけ長く覚えていたいと思った。
こんな気持ちは人生に何度も味わえるものではないと全身の神経が訴えかけてきたから。
幕が下りると、強張っていた体は開放されたのに、精神が現実に戻ってないような感覚だった。
みんなの顔が、声が、少しずつ私の中に入ってきて、ゆっくり引き戻されていった。
…終わったんだ。そしてまた何かが始まったんだ。
不満なわけではないが、満足はまだまだ出来そうにない。
やっぱりまだ飢えている。だから歩き続けられる。
3月は幕が下りた瞬間にみんなで歓声を上げ、抱き合い、涙涙の嵐だった。
でも今回は、1人1人言葉にならない感情を噛み締めているように、その場に立ちつくしていた。
大号泣でもハグを求めるわけでもなかったけど、この人達が誇らしくてたまらなかった。
一緒に歩きたいと思った。歩ける自分でありたいと思った。
次にあの倉庫と、あの世界の人間と、みなさんが出会える日はきっとそう遠くない。
その日までまた造り上げていく。S.T.A.R.の世界、人間達を、自分達の出来る限りの表現で。
忘れたくない日が私の人生で一日増えた。
まだ私達の旅は始まったばかり。未完成だからこそ目指していける幸せを感じて歩いて行きたい。
この出逢いを抱きしめながら。 |
谷田部麻理子
|
 |
|
|
|
|
| (本番後) |
vol.36 |
夢みたいだった。
すぐそこにNickがいて、Amyがいて、Junがいて、Kenがいて、Joeyがいる。
「ねえ。私の言ったとおり、人生が少しずつ思わぬ方向に向かい始めたでしょ?」
そして、初めて全員が倉庫に揃ったDANCE BATTLE。その奇跡のような出来事を前にして、私はすでに泣いてしまいそうだった。もっと熱い気持ちになるべきところなのだろうが、私はなにやら温かい気持ちに包まれていた。本当に、会えたんだね…と。
やはり、夢みたいだった。
…それが、私が今回のS.T.A.R.を見てすぐの率直な感想だった。あくまでもいち観客としての。
ここでちょっと現実的な話をすると、私はライターとしてS.T.A.R.のリハーサルを見させてもらっていたので、このミュージカルの制作過程から見ることができた。それは自分がやりたいからやっているし、知りたいから現場に行く。めったに出来ない経験をさせてもらっている。ミュージカルとはこんなふうに作り込まれていくのだ、と。もちろん全てではないが、出来上がるまでの準備や、作っている様子まで手に取るように分かる。
でも、ときどきそれが恐くなる。
純粋にS.T.A.R.のストーリーを感じられなくなってしまいそうで。
生きているNickたちが消えていってしまいそうで。
しかし今回、キャストでもなく、舞台裏で動くクルーでもないライターの私がみんなと一緒に会場までついて行って、ひとつのシーンが「ОK!これでいこう」となるまでの細かいいきさつや、セットチェンジや幕のタイミング、ダンスものの立ち位置のバランス、マイクの調整、出はけの約束事などの最終確認を兼ねたリハを見ていて感じたのは、それとは全く逆の感情だった。
整理しよう。
今までは、ミュージカルのシーンなどを“作っていく”プロセス、舞台裏で行われていることを知るのは、実に興味深いことであると同時に、自分の中の夢や想像や素直な感じ方が知らず知らずのうちに消えてしまうんじゃないかという、恐怖そのものだった。
私の中で、S.T.A.R.の世界と、リハが行われているスタジオは、対極の場所にあったのである。
それが、会場リハでひっくり返った。今ではもう、リハを見てしまったら私の夢が壊れちゃいそう、なんて口が裂けても言えない。
なぜならその“夢”が生まれたのは、数々の地道なリハがあったからこそだからだ。
同じく、見ている人をなんとかS.T.A.R.の世界に入り込ませたいと思って、必死に考え抜き工夫を凝らしまくっている人たちがいることを知ったのに、それで物語が感じられなくなるとか想像が止まってしまうとか、そんなばかな話もないだろう。そして、その世界からなかなか帰れない秘密が、裏で動いている人たち(いや、裏という字はあまりにふさわしくない。たまたまお客様に見えてはならないという条件付きのキャストたちと呼べばいいだろうか)をはじめとする、舞台裏の集中やこだわりの集大成なのである。
それがうそじゃないということが、本番を見ていく中で次々と証明されていった。
始めの感想文を読んでもらえれば分かるように、ついさっきまで素人なりに、でも冷静に会場リハで行われていることをメモっては感じたことを書きこんでいた人が、即効でS.T.A.R.の世界へと連れていかれてしまった。でもたま~に、Nickとかに「おいおい!なに俺らと関係ないとこで泣いてんの?!」ってつっこまれてしまったことも…。リハでがんばっていたみんなの姿や、今舞台裏で必死になっているみんなの顔が見えてしまうことは、もはや止められなかったですね…。
だから、全てが繋がっていて、いいことでも最悪なことでも意味のないことはなくて、誰ひとりとして必要じゃない人なんていない。それが、第2回のS.T.A.R.を終えて実感していること。
とてもとても大切なことを感じさせてもらいまいした。
Realだけど、それと同じくらい夢がつまっていて、常に進化し続ける生き物のようなミュージカル『S.T.A.R.』をとりまく想い。
もっと感じられると思います。 |
箕輪有花子
|

|
|
|
|
| (本番前) |
vol.35 |
今の時代の若者が何かをこだわるというのは、難しいことだろうか。かっこわるいことなのだろうか。そして、何かを追求して良いのは、突出した才能を持つ限られた人間だけなのだろうか。
自分のスタイルで自分の好きなことを追求している人は貴重。
そうやって、こだわることが「特別」だと定着してしまったから、「自分には関係ない」とあきらめる人が増えたのだろうか。
NickもJunもAmyもKenもJoeyも皆、最初はこだわるものなんてなかった。
自分にはこだわるものなんてないと思い込んでいたし、こだわることが何になるのか教えてくれる人がいなかったし、自分がこだわりかけたことをけなされ続けていたし、自覚がないからその痛々しいまでの表現がこだわりとは別のものになってしまっていたし、常に探しているけれど見つからないし気付けなかった、そんな人たち。
一緒ではないか。
過去も住む世界もバラバラの彼らがひょんなことから出会い、様々な人間関係が生まれ、初めてこだわりと呼べそうな何かが始まっていく―。
少しだけ、勇気がでてくる。
目の前にある現実がやっと見えてくる。
“私たちが今こだわるものは、ここにある。”
その幸せをついどこかに忘れそうになりながらも、毎日リハーサルに臨む彼らがいる。
「唯一こだわれるものがここにあるじゃないか。こだわって人に信頼されることが大事なんだ」…十分に私の胸にも突き刺さる程のインパクトをもったマキノ会長の言葉が、彼らに向けて放たれる。
|
才能なんて関係ない。
今の時代に生きていることを言い訳にしたり、
それに甘えたりしていても何も始まらない。
もう一度。
私たちがこだわるものは、ここにある。 そしてもうすぐ、皆様を巻き込みに行くはずです。 |

|
箕輪有花子
|
|
|
|
|
|
|
vol.34 |
2006年7月21日。もしも今日、学校をさぼってあの倉庫に行けるなら、私はどうするだろう。彼らにどんな言葉をかけるだろう。どんな思いに駆られるだろう。
まずはNick。私が倉庫に足を踏み入れたとたん、いや、もしかしたらのぞいているときから、存在に真っ先に気付いてくれるはずだから。そして初めて倉庫に入ってきた私の緊張をほぐそうと、なにかおもしろいことをしてくれるだろうな。それに倉庫のみんなもウケて…常に人の輪の中心にいて笑いを提供し続けるNick。その笑いの裏に潜む本音を知ってしまっている私は、みんなが「Nickほんとにアホだよな~」と笑っている中、思わず「ありがとう」とつぶやいてしまうかもしれない。
Nickが「え?何?」と聞いてきても「なんでもない」とごまかすだろうけど。
AmyとJun。やっぱり今日もこの2人は一緒にいる。
しかし、これからやってくる嵐のような日々を思うと「も~自分のこと棚に上げて相手を責めるばかりじゃなくもっとお互いのことを想いあって!」なーんて今の2人に言ったらさらに関係が複雑化しそうな言葉を言いたくなってしまう。きっと今日もソファーでふざけあったりしていて、外見だけ見たら理想的な仲むつまじいカップルのはずなのにな~。だから私は2人に「がんばって!」と、まぬけな一言を言うのが精一杯だろう。過去のトラウマやコンプレックスだらけの美しい2人と一緒にいて何も言ってあげられず、いたたまれなくなった私は「また来るね!」と言い残し、倉庫をあとにする。そして、同じ街に住む絶対に会わなければならない人に会いに行く。
その人の名前はKen。
彼は今日も道端でひとり、踊っているだろうか。最初は「あ、Kenだ!!すごい。本物」と抑えきれないミーハーな気持ちで近づいては行くが、やはり声をかけることはできないと思う。せっかく会えたのだから何か言いたい、その衝動を抑えながらただただ彼の過去と今とをかみ締めているだろう。彼のDANCEから透けて見える感情に身をまかせながら。やがて踊りを中断し、どこか別の場所へ向かおうとするKen。そのとき私は掟を破って追いかけてしまう。「Ken!!…」きっと自分の名前を久しぶりに呼ばれたこともあって(勝手に久しぶりにすんな!と怒られそうだけど)、振り向いてくれるはず。でもそれはほんの一瞬で、彼はすぐに歩き出す。
私も逆方向に歩き出す。それだけでいい。
もうひとり、忘れちゃならない人がいる。
Kenに会えた興奮冷めやらぬ状態で、ある本屋さんに立ち寄ってみると、いた。新刊コーナーをすみずみまでチェックしているであろうJoey。あまりに真剣なのでちょっと声をかけにくい感じ。でも、普段は人見知りの私でも、Joeyになら話しかけて、この後一緒にCafeに行くということにまで発展できそうだ。が、ここはあえて近付きすぎず、言いたいことだけを言って、私もせっかくだから本を買って(笑)、さっさと出て行ってしまおうと思う。「……なんなのあの人!!」
Joeyの心の声が聞こえてくるようだ。ほんとうはもっといろいろ話したいんだけど、私はJoeyなら大丈夫!って思っているよ。
7月21日。みんなと出会う前の、5人。
そして私は必ず全員に得意げな表情でこう言うだろう。
「明日の夜7時に、あなたを含めたある5人の人生が混ざり合い始めるんだよ!」と。
突然の言葉に意味が分からずきょとんとしている彼らの姿が目に浮かび、吹き出しそうになる。
7月22日。みんなで見届けましょう。
|
|
|
|
箕輪有花子
|
|
|
|
vol.33 |
第二回公演も迫る中、S.T.A.R.の歌詞の意味を訳し、深めるというレッスンが(ドリプラで)行われた。
今回ピックアップされた曲は “Do You Love Me?”, “I Don’t Wanna Know”, “You’re Beautiful”, “Every Little Bit Hurts”の4曲。あんなにも名曲が揃っていると、好きな曲や、思い入れの強い曲もみんな意見がばらける。
そしてゆうきさん(ディレクター)が最も意見がばらけそうな質問をGirlsに投げかけた。
「実際にJUN、NICK、KENがいたら自分は誰に惹かれると思う?」
…Girls一同真剣に考え出す。(笑)
確かにキャラクターだし、架空の人物ではあるものの、私達の中に彼らは生きている。
まるでここのBoysと同じ位、もしくはそれ以上(!?)の思い入れがあるので1人1人の意見が熱い。
「私はNICKが良い!他の2人にはバカな女って思われちゃいそうだけど、NICKは一緒にバカしてくれそうだし、楽しいと思うから。」 「JUNが良い!だってJUNも自己中だから我がまま言いやすいし。NICKは気を使わせちゃいそうだし。」 「絶対KEN!!あのAMYと2人で歩いてるシーンでAMYのフラペチーノ受け取る時の雰囲気がやばい!」中には「ナレーションのNICKが良い!」とピンポイントでマニアックな意見も…。(笑)
何て勝手な私達(笑)…私も真剣に考えた。
|
|
|
JUNは確かにかっこいいし、付き合ったら友達には自慢出来る相手かもしれない。
ドキドキすると思うし、優しくしてくれそう。…でもいまいち本音で色々な話をしにくそうかも。それはともかくあんなに誰にでも優しくしていたら、絶対不安になるし、腹立つし、喧嘩になりそう。…JUNは私とは合わなさそう。
NICK大好き!おもしろいし、周りの事をいつも考えてるし、人に気を使えて、まったくいやみっぽくない。本当良い奴。…なんだけど恋愛対象に見たくないかも。友達が心地良いし安心出来るし…。NICKは自分を見せなさすぎだから寂しくなりそう。恋愛じゃなくてお兄ちゃん的存在で居てほしいかな。
KENは気付いたら目でいつも追ってしまいそう。彼の独特のスタイルとか、硬派さとか、深い瞳にはやられてしまいそう。(笑)だけどあまりにもそっけない態度や、言葉で表現しない性格に1人で傷ついて、落ち込んで、勝手にこの気持ちに幕を下ろしてひっそり見守るかも。KENとも上手くやれないなぁ。
JUN+KEN÷2で、そこにNICKのスパイスを!そんな人がいいな☆
…日記状態の妄想&暴走が!私我がままですね…これじゃ3人の方からお断りでしょう!(笑)
3人とも全然未完成だけど、すごく魅力のある人達。つい夢中になってしまう位!
このミュージカルを女の子が見たら必ず誰が好みかって言う話になると思う。
演じる方も惚れさせてなんぼだし、見る側も惚れ込んで見た方が絶対楽しめる。
やっぱり理想は「かっこよく見せてないのに.何してもかっこいい人。」
それがいい!ねっ、AMY!私は一番AMYに惚れているのかも。(笑)
会場を出た後の女の子達の声が聞こえてくる。
「あのJUNっていう人かっこよかったね!でもお似合いだったよね!」
「NICKといたら落ち込んでても笑わせてくれそう!私NICK好きだなー。」
「もうKENヤバくない?!ダンスとかたまに見せる笑顔とかさっ。」
そんな会話をしてしまうってことはもうS.T.A.R.の虜になった証拠。
ただ見ていたのではなくて、一緒に時間を共有した最高のお客様。
きっかけはかっこいいでも、それだけでは終わらない。それがS.T.A.R.。
一度引き込まれたらもうあなたを離してくれないでしょう。きっと。 |
|
谷田部麻理子
|
|
|
|
vol.32 |
人には、人生の局面局面で決断のときがやってくる。
決めなければならない。腹をくくる瞬間。
今日着ていく服を決める。
それはただの選択。
そうやって無意識のうちに取捨選択を繰り返すことで、私達の生活は成り立っている。
しかしあくまでもそれは無意識の行為。
決断には、いやでも自覚が伴う。
だから見ている人の心にも、強烈な印象を残す。
そう、S.T.A.R.の中にはその場面を鮮やかに描いているシーンがある。
今自分が、決めなければならない岐路にさしかかっている人にとっては、すごくリアルで心に響くシーンだろうな、と思う。逆に今、特に決断を迫られているわけではない人にとっては、少々濃すぎるシーンかもしれない。
私は後者のタイプだ。
目の前で展開されていることがあまりに衝撃的すぎて、自分の感情がなかなか追いつけない。
でも私はこのシーンが好きだ。
これほどまでに舞台裏、人間の本音をドラマティックに描いたシーンは見たことがない。
そして最後には皆が決断をする。
私にはそこまでの決断を瞬時に迫られた経験はないけれど、ないからこそ、その感情をわかりたい、共有したいという思いのほうが強くなる。
そのシーンはAct2の後半で、もう彼らにはここまでで十分感情移入してきてしまっているから。
するといつのまにか、いつも通りシーンに惹きこまれている自分がいる。
だから私は、S.T.A.R.を見に来てくださる、私たちと同年代の人たちに言いたい。
S.T.A.R.の内容について、若い世代が共感しやすいという大前提はあるけれども、「今の自分にはわからない。感じきれない」といった部分も確かにあると思う。あっていいと思う。
それがS.T.A.R.の深さであり、私たちよりも上の年代の方々に支持されるゆえんなのかもしれない。
私のような若輩者は、毎回リハーサルを見ているくせに、「やっとこのシーンの本当の意味がわかったかも!」「今初めてあのときのKenの気持ちをちょっとだけ感じられたかも」…そんなあり様なのである。
逆に言えば、S.T.A.R.がいつも新しい発見に満ちているミュージカルだということ。
それに、彼らは見てくれているお客様をどこかに置いて行ったりはしないはず。
あと3日をきりました。
|
|
|
|
|
|
|
vol.32 |
「気がつけば世の中はもう2006年。」(NICK)
今は2006年。この時代に生きる日本人は飢えている。
食べ物は溢れ、お金も廻り、住む家もあり、便利な機械に囲まれ、一見何不自由ない時代だ。
しかし沢山のものが溢れ返っているからこそ、私達は飢えている。
本当に大切なことに気がつけない。「何か」を見失って生きている。
刺激を常に求め、退屈を毛嫌いする。
ただ何となく生きていたって良いのかもしれない。
だけどそのままでは何も変わらない。
一人の人間に与えられるこの人生は一回限り。
いつ幕が下りるかも分からない。
これでいいのだろうか?このままで…。
「俺らさぁ…毎日ここで何やってんだよ。毎日同じこと繰り返してさ。なぁもういいじゃん。何かやろうよ! 一生に一度くらい目標持ってみようよ。」 (NICK)
飢えている若者達がこのミュージカルの主役だ。
そしてこのミュージカルができたのも、私達自身が飢えていたから。
欲しいのは安定じゃない。無難でも妥協でも理屈でも嘆きでもない。
それが欲しいならこのミュージカルをやる必要はないだろう。
でもやる。一人一人の意味を持ち、決して一つにはなれない私達が、一つになって。
この飢えが満たされる時は来るのだろうか?
満たされたと感じたらそこで終わってしまうのかもしれない。
陸上選手がもっとタイムを縮めたいと思わなければ…。
料理人がもっと人を唸らせる料理を作りたいと思わなければ…。
俳優がもっと自分の役に入り込みたいと思わなければ…。
作家がもっと自分の言葉を多くの人に届けたいと思わなければ…。
映画監督がもっと見た人に感じてもらえる作品を作りたいと思わなければ…。
満たされたら、その足は、その手は、その感性は、その発想はその野心は止まってしまう。
飢え続けなければ…。歩み続けなくては…。
|
一週間後のS.T.A.R.が終わっても私達は100%満たされないだろう。
飢えを感じていると思う。だからこそ先がある。私達はここで止まれない。
まだ歩き続けたいから。 |
 |
|
谷田部麻理子
|
|
|
|
vol.30 |

|
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体名等は全て架空のものです。
なぜ人は、虚構に惹かれるのか。
作られたものと分かっていても、心を動かされるこの不思議。
人が一番最初に物語を作ってから、何年のときを経てもなお、物語を作り続け、求め続け、救われ続けてきた理由とは何なのか。
その理由が、S.T.A.R.を見ていると少しだけ分かる気がしてくるのは私だけだろうか。
Kenの世の中に対する怒りと拒絶。
Amyの強がりといじわるまじりの正論。
誰にも言えない見せている自分と実際の自分とのギャップ。
もう少し自分が大人だったら避けられたであろう傷付けあい。
Joeyの妄想。Joeyのびびり。Joeyの心の声。
…上に挙げたなんだかよく分からない事柄は、私がS.T.A.R.を見た中で「他人事じゃない!」と感じたところだ。
それは、多少かぶる部分はあっても、人それぞれに違うはずのもの。
そしてそれこそが、人がフィクションに求めることではないだろうか。「あ、私と同じことをこの人も感じてる…」そう思いたくて人は、作者の経験や感じたことや出会った人などを元に紡ぎ出された物語の中へと入ってゆく。
もう一つ、理由がある。
それは、どんな物語の中にも必ず、真実を感じるシーンがある、ということ。
「S.T.A.R.の中で真実を感じるシーンは? Survivor, You’re Beautiful…」
ディレクターの言葉通り、S.T.A.R.にもそういったシーンがある。
Realできれいごと抜きだからこそ、えてして切なく、痛いシーンになる。
そこに真実を感じられた瞬間、もうすでにそれは虚構ではなくなっている。登場人物が、現実に生きはじめている。その感覚を味わいたくて、人は物語を追い続けるのではないか。
S.T.A.R.はフィクションであり、登場する人物、団体名等は全て架空のものです。
ただし、あなたが「他人事じゃない!」と感じた部分と、真実を感じた瞬間は、現実に存在しております。
|
 |
|
箕輪有花子
|
|
|
|
vol.29 |
刻一刻とその時が迫ってきている。
2006年7月22日、午後7時。
S.T.A.R. 第2回沖縄公演。
とうとう2週間を切った。
全てはその瞬間のために。
…いや、全てはその後に存在する未来のために。
S.T.A.R.はその舞台中だけが勝負のミュージカルではない。
その舞台が終わった後こそが本当の勝負だ。
出演した人間が、作る事に関わった人間が、この経験をどう次に繋げることが出来るか。
終わって安心した、満足した…そこで止まってはいけない。
来て下さったお客様がただ見て終わり…ではなく、現実の生活に戻った時に、その人の中に何を残せるか。
この7月の公演をきっかけにどんな『出逢い』があるのだろう?
人生は出逢いをなくしては語れない。
人との出逢い。曲との出逢い。本との出逢い。映画との出逢い。感情との出逢い。言葉との出逢い。景色との出逢い。文化との出逢い。歴史との出逢い。新しい自分との出逢い。…全てが出逢い。
人は何かと出逢わなければ生きていけない。変わることは出来ない。
そしてその先が大切。出逢ってからが大切。Life goes onだから。
|
S.T.A.R.は、ある人にとっては真新しいもので、ある人にとっては懐かしいものなのかもしれない。ある人にとっては非常に切ないもので、ある人にとっては包み込まれる位温かいものなのかもしれない。
…ある人は見て何日か経ったらすぐ忘れてしまうかもしれない。
…ある人は何年経っても忘れずにいてくれるかもしれない。
そうなる事を想像しつつ、願いつつ、リハーサルの日々は続いています。 |
 |
7月22日、その場に居合わせる誰一人をS.T.A.R.は置いていったりはしない。
ただ心を開き、感情の蓋をはずして、身を任せて一緒に何かを感じられるように。
私達の人生の忘れられない1ページになるように。この出逢いから素敵な科学反応が生まれることを信じて。 |
|
谷田部麻理子
|
|
|
|
vol.28 |
音楽のもつ力は本当にすごい。
Musicalというぐらいだから、Musicなのである。
例えば、大勢の人の涙をさそった彼女の歌声には、確かにSoulがこもっていたように思えた。そして、その大勢の中に私もまぎれていたことは、書くまでもあるまい。
例えばあるシーンの後に一つの曲が入るだけで、物語には分かりやすさと同時に深さが生まれる。
例えばあるシーンの前に曲が入っただけで、なかなか見つけられなかったピースが、次々とあるべき場所にはまっていく。その一曲を聴くだけで、ジグソーパズルの完成図さえ見えてきてしまう。
Opening nightのS.T.A.R.公演から、今回の7月22日の公演に向けて、ストーリーの都合上泣く泣く削った曲もあれば、新たに「S.T.A.R.名曲リスト」に仲間入りした曲もある。なんと「昨日(9日)入れることにした」(ディレクター)という曲まである。
やはりMusicalだけに、Musicである。
もちろんMusicalには、演技やダンスを含めた全てのエンターテイメントの要素がつめこまれていて、それらのすごさも充分感じることができる。
だが、私が最近のリハを見ていて感じるのは、言葉では足りなくても音楽でなら表すことのできる感情や、表現者の思いとそのときの自分の状態で出てくる感情が毎回違うことや、たった一曲に込められた意味や歴史や、たまたま曲に関するものが多い、というだけだ。
|
でもきっと、Musicalの中で、歌のもつ役割、演技のもつ役割、ダンスのもつ役割は表面的には分かれているように見えるが、ひとりの役者が演じているものに変わりはないのだから、最終的には繋がっているのだろう。「気持ち」という一点においては。
本当は、表面で見えることを通して、彼らが懸命に自分の「気持ち=プロ意識」を作り上げよう、そしてそれを持続させようとしているのが、リハを見ていると伝わってくるのだ。
音楽のもつ力とは、人間がもつ力。 |
 |
|
箕輪有花子
|
|
|
|
vol.27 |
惚れ込んでしまうシーンがある。
リハーサルで何度も繰り返し見ているはずなのに、そのシーンが展開されていくにつれ、前のめりになってしまう自分。次に誰が何を言うのか、全て分かっているはずなのに、まるで初めて聞いたかのように心に響いてくる。そんな自分をもう一人の自分が「好きだね~」とあきれる(笑)。
でもきっと誰にでも心当たりがあるはず。
この映画のあのシーンで使われている曲が好きで、それだけを目当てに観てしまう。
この本のあのセリフの掛け合いが来ると、分かっているのに毎回笑ってしまう。
この曲の後半部分のあのフレーズがたまらなく好きで、曲を聴き始めると、そこを今か今かと楽しみにしてしまう。
だから、このミュージカルのあのシーンが一番自分として心地よく見られる、何度見ても惹きこまれる、というのもよくあること。
簡単に言うなら、お気に入りのシーン。
他のシーンが嫌いなわけではなく、S.T.A.R.においては全てのシーンが好きだ。
けれどもあのシーンだけは特別。ゆずれない。なんだか自分でも説明できないが、とってもSPECIAL。
そして、そんな強い気持ちが自分の中にも存在するのだということに気付いたら、別のシーンを見ているときの自分の気持ちが全く足りていなかったということが分かる。
「飽きるはずなんてない!」と信じ込んでいたけれど、何回も見るにつれ、今となっては何も感じていないというようなシーンがあったことを、認めざるを得なかった。
甘かったのである。
役者が何かすごいことをしてくれるだろう、という受け身の気持ちではなく、見ているほうが「誰も見ていないところを見てやろう」という積極的な気持ちを持つことが大事だ。
以前YUKIさんから「今日の通しリハは、まるで初めて見るかのような新鮮な気持ちを意識して見てください」というような話があり、そのときはなんて難しいんだ!と思ったけれど、今ならそれは、自分がまだ感じたことのないところを探しながら見る、といくらでも新鮮な気持ちで見られると思う。
さて、冒頭から私がうるさく書いている“惚れ込んでしまったシーン”とは…ほら、あの、Joeyが…
…やっぱり教えられません。
でもヒントです。
Joeyが出てきます。
倉庫の |